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やがて消えゆく我が身なら 池田清彦(著) その4

池田の「老いの悲しみ」と題したエッセイはいい。

老人のことがわからないのは…論難すべきことではない。老人になったことがない人に老人のことがわかるわけはないのだ。同じように老人に若い人の心が分かるかと言えば、それも難しい…

大人は私たちのことをわかったフリをしているだけで何もわかっていない、と言う若者は全く正しい。但し、だからわかってほしいと思っているとしたら、それは間違っている…

老人は若者の心を理解できないし、理解する必要も義務もない。知力も体力も気力もある若者たちは、大人なんかに理解してもらわなくとも勝手に生きればそれでよい。それ以外に人間の生き方はないと私は思う。

ここまでは序段。ここから「老いの悲しみ」にはいっていく。らしくなく、真剣で痛切な筆致が続く。理系らしい論理的な文章でありながら、情感に満ちている。名文だ。



…老化とは徐々に進行してゆく体の不自由さを後追いで脳が納得してゆくプロセスなのだ。それは悲しいことには違いないが、日常生活さえ何とかこなせるうちは、心と体の折り合いがつかないといったものではない…

悲しいのはここからだ。

…老人の病気は治されるために治療されるのではない。金もうけの手段として治療されるのである。早く死んでもらっては困るのだ。しぼれるだけ金をしぼり取られた後でしか死ぬ自由は残されていない…不自由になった自分の体に自分の心が納得して、その範囲内で生きられる限り、人の精神はまだ自由であり得る…

介護制度が孕む根本的な問題もえぐる。

…介護される老人は様々な意味で弱者であり、真の決定権を持たない…いきおい…家族…の意向を重視するようになる。そうなると、重視されるのは介護人と家族の都合ということになり、老人は単にパターナリズムの奴隷として生活せざるを得なくなる…

ほんとうによく出来たエッセイだ。ただし、こうして抜書きしただけじゃ、自然な論理の展開が再現できないし、いきおい情感の部分が伝わらなくて名文も台無しとなる。残念。
by Yasuo_Ohno | 2005-03-15 20:56 | テーマ3:現代思想・仏教
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