生きていくのに大切な言葉 吉本隆明74語 勢古浩爾(著) その4

街路を歩いていて、若い女性のものと思える下着が干してあるのを見かけると、瞬間、本能的に視線が吸い込まれる…これは思春期からはじまり、いまでもほとんど変わらないから、どうも素因的といっていい(吉本隆明「背景の記憶」)

このすごいひとはこんなこともいっているらしい。





ほんとに生理的な性の欲求だけ、という場合は、僕だったら女性は要らない。自己処理してしまいますね。そうじゃなくて、なんらかの精神的なというか、気持ちの上でいいな、という要素が入ってなければはじまらないよ、なんにもっていう気がします(同掲)

吉本はすでに80歳を越えた。「老い」や「病い」に関する発言や著作が増えたらしい。

幸・不幸とかも、長く大きくとらないで、短く、小さなことでも、一日の中でも移り変わりがあるんだよと小刻みにとらえて、大きな幸せとか大きな不幸というふうには考えない(略)そういうふうに大きさを切り刻むということ、時間を細かく刻んで、その都度いい気分だったら幸福だと思い、悪い気分だったら不幸だと思う(吉本隆明「幸福論」)

勢古の解説。

老人には将来がない。先のことを考えてもしかたがない。ひとはなぜ生きるのか、などもはやなんの意味もない問いだ。夢なんかあるはずもない…だったら今日一日のなかで幸・不幸を小さく刻む。天気がよくて気分がよかった…

老い先短く死が恐いのは僕だって同じですよ(吉本隆明「幸福論」)。あるいは年をとってきたら命にたいしてけ・ち・になった。命を物惜しみするような感じはあります(三好春樹との対談集「老いの現在進行形」)

勢古のまとめ。

自分の死は自分のものだけど、危なくなって死ぬという段階になったらもう自分のものではない(吉本隆明「死の準備」)し、「死ねば死にきり」だから、あとは残ったものが好きにすればいい、という…

村上一郎への追悼文の一番最後で、「さようなら、ご機嫌よう」(吉本隆明「追悼私記」)。勢古にいわれるまでもなく、死者への追悼として、「ご機嫌よう」という言葉はそぐわない。吉本だからできるんだろう、という勢古の言葉に妙に納得。

ちなみに、勢古は、もっとも吉本らしい一冊として、「追悼私記」をあげた。
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by Yasuo_Ohno | 2005-03-30 23:44 | テーマ6:生活
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