僕の村は戦場だった

「私はこれまで娯楽映画を一本も作っていませんし、これからも作らないことを約束します」。こういってはばからなかったタルコフスキーの作品は退屈で眠いものだ。

ぼくは「ノスタルジア」を初めて見たときに度肝を抜かれたので、そういったイメージが強いのだが、のちに見た「惑星ソラリス」なんてそれほどでもなかったし、したがって、この作品が面白い作品だったからといって驚くにはあたらないはずである。

なのに、やはり驚いてしまったのはぼくとタルコフスキーとの出会いの性質を物語っていて面白い。



この作品はタルコフスキーの作品にしてはメッセージがダイレクトで分かりやすい。

何か抜き差しならぬ状況にあることも客観的事実として描かれているので、容易に理解が可能だ。一般に戦争とかアクションとか肉体中心の映画は分かりやすく、疲れない。戦争を描くのにナメクジが這うような動きの遅いカメラは不適切だし、動きのない戦争とは形容矛盾であることを考えるとタルコフスキーがごく平均的なカメラワークを採用したことは正しい。

ところが、ときに火薬や銃弾が炸裂することや死体を目にすることがあってもぼくらには何かを感じ、考える余裕が与えられている。

この作品の世界がもつある種の「平和さ」は何だろう。

戦争を経験したことのないぼくらには想像するしかないのだが、これこそ戦争の誇張や偽りのない姿なのであって、もしそうなら「戦争という日常」という表現が自己矛盾でもなんでもないことになる。

空襲を花火のようだったといったのはぼくの父親だが、スピルバーグの「太陽の帝国」のように、戦争にメルヘンチックな思いを寄せる子供をけしからんといって叱るのは戦争の実態がいかに誇張され、歪められているかを示すものだ。

だからといって戦争を美化し、煽るつもりはない。

タルコフスキーはここでも正しく、生と死がいかに身近に接しているか、ちょっとした行動が死へとつながることをぼくらに意識させる。こと戦場にあっては生き残るか死ぬかなんて自分の意思ではどうにもならない運命的なもので、生き残ったものがあとになって胸をなでおろすのが関の山である。

その意味では少年の死は運命であった。少年は死ぬために戦争に関わろうとした。敵への復讐に燃える少年の一途さないしは純粋さは分別の代わりに大人が置き去りにしてきたものだ。

少年の死は悲壮かつ貴いものでぼくらに静かな感動を催す。


僕の村は戦場だった  ★★★★

製作年:1962年
製作国:ソ連
監督:アンドレイ・タルコフスキー
原作者:ウラジーミル・ボゴモーロフ
脚本:ウラジーミル・ボゴモーロフ、ミハイル・パパーワ
撮影:ワジーム・ユーソフ
音楽:バチェスラフ・オフチンニコフ
出演者:ニコライ・ブリャーエフ、ワレンティン・ズブコフ、エフゲーニー・ジャリコフ、ワレンチーナ・マリャービナ、イリーナ・タルコフスカヤ
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by Yasuo_Ohno | 2005-04-03 22:25 | シネマンガ研究会
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