靖国論争をめぐって 生者は儀礼決められぬ 言葉を持たない死者に権利 内田樹

国論を二分するほどの論争は、賛否の論者たちどちらの言い分にも「一理」があり、かつ「一理」しかないからこそ起こる…今、靖国神社をめぐってきびしい賛否の議論が展開されている…共同体の「喪の儀礼」はどう執行されるべきか…人間はなぜ葬礼を行ったのか…正しい葬礼を行わなければ、死者が戻ってきて災いをなすという信憑は有史以来すべての人間集団が共有してきた…



靖国問題を哲学者たちが語り始めた。靖国問題は、近代主義の観点で論じ尽くすことはできないようだ。靖国問題は反対派も賛成派も同じ前提に立っている。

参拝反対派:首相の靖国参拝がアジア隣国の対日感情を悪化、そもそも政教分離原則に違背←死者は正しく祀られなければ、生者に災いをなす

参拝賛成派:靖国参拝を外交カードに使い、無宗教の代替施設を作ることは、私たちの宗教心や道徳を荒廃させる←死者は正しく祀られなければ、生者に災いをなす

内田は、生者に節度を求める。

…死者たちは正しく弔われなければならない。しかし、どのような服喪の儀礼が正しいのかについては誰も確言する権利を持たないし、持ってはならない…服喪の儀礼の本質的な豊かさは、行った儀礼が正しいものか、正しくないものかの最終的な決定を生者たちは下すことができないという無能のうちに存している…死者は言葉を持たず、死者は自分に代わって語られる言葉の取り消しを求める権利を与えられていない…「死者の無権利」への気遣いと畏れをどういうかたちに表していくべきなのか…

限られた字数で展開される内田の論証は不完全だが、本質を外していないように思われる。
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by Yasuo_Ohno | 2005-08-30 23:43 | テーマ5:政治・経済・社会
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