カテゴリ:テーマ3:現代思想・仏教( 13 )

マルクスだったらこう考える 的場昭弘(著)

マルクス主義の敗北は、二項対立的な歴史の終焉を意味しています…二項対立がなくなった世界は、アメリカを中心とする先進資本主義国が支配する世界となります…二項対立の弁証法ではなく、「外部」からの衝撃によって変わるというスピノザ的方法で歴史を見るとどうなるか。ひとつの世界はつねに「外部」に別の世界をもつ…どの世界の歴史も「外部」からの衝撃でしか展開しない…

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by Yasuo_Ohno | 2005-03-22 00:11 | テーマ3:現代思想・仏教

やがて消えゆく我が身なら 池田清彦(著) その5

人間の性格や行動は「氏」と「育ち」、どちらによって決まるのか。最近の生物学の成果によって「氏」も「育ち」も、と相成った。すべての形質、形態も行動も発生システムの過程で、遺伝的要因と環境要因の相互依存的な共同作用により生じることが明らかになった。遺伝子は生物の体にくくり付けられた情報、環境は偶有的な情報であるという違いはあるが、情報という観点からは基本的に等価であるという。

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by Yasuo_Ohno | 2005-03-17 21:39 | テーマ3:現代思想・仏教

やがて消えゆく我が身なら 池田清彦(著) その4

池田の「老いの悲しみ」と題したエッセイはいい。

老人のことがわからないのは…論難すべきことではない。老人になったことがない人に老人のことがわかるわけはないのだ。同じように老人に若い人の心が分かるかと言えば、それも難しい…

大人は私たちのことをわかったフリをしているだけで何もわかっていない、と言う若者は全く正しい。但し、だからわかってほしいと思っているとしたら、それは間違っている…

老人は若者の心を理解できないし、理解する必要も義務もない。知力も体力も気力もある若者たちは、大人なんかに理解してもらわなくとも勝手に生きればそれでよい。それ以外に人間の生き方はないと私は思う。

ここまでは序段。ここから「老いの悲しみ」にはいっていく。らしくなく、真剣で痛切な筆致が続く。理系らしい論理的な文章でありながら、情感に満ちている。名文だ。

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by Yasuo_Ohno | 2005-03-15 20:56 | テーマ3:現代思想・仏教

やがて消えゆく我が身なら 池田清彦(著) その3

人間の尊厳を守る…人間が人間らしさを失ってしまったら大変だということらしい。しかし、現代の主流の進化論であるネオ・ダーヴィニズムの教義を信ずれば…進化は遺伝子のランダムで無方向的な突然変異の結果、形質が少し変化したところからはじまる…

もし、この遺伝子をもっている個体がもっていない個体に比べて、ほんの少しでも適応的でより沢山の子供を残すことができるならば、世代を重ねるごとに生殖を通じてこの遺伝子の集団中での頻度は上がっていく…チンパンジーから分かれてからのヒトは常に連続的な通過点にすぎなかった。そして現在もひとつの通過点にすぎないとしたら、現在我々が有している人間らしさを守るべきといった話には何の根拠もない…たとえば、200年万年前のヒトが、その時点での人間らしさを守り通したとしたら、現在の我々は存在しないのだ…

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by Yasuo_Ohno | 2005-03-14 21:25 | テーマ3:現代思想・仏教

やがて消えゆく我が身なら 池田清彦(著) その2

歴史から学べる教訓は二つ…すべての政治システムは崩壊したことと、どんな政治的な洗脳も生きようとする盲目の意志には勝てなかったといくことだ…ごく一部の奇特な人を除いて、マスとしての人間は利己的でずるく、どんな状況であれ、どんなシステムであれ、その条件の中で最もうまく立ち回ろうとするのだろう。それは独裁システムを支える条件であると同時に、いかなる思想も倫理も道徳もマスとしての人々の心に定着することはあり得ない…

以上、「人はどこまで運命に抗えるか」より。こう断言する著者が別のところで哲学者の中島義道を素直な人と評価している。中島義道、いいよね。

話は逸れた。

さて、つぎは、「自殺をしたくなったなら」より、インパクトのあった箇所。

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by Yasuo_Ohno | 2005-03-10 21:23 | テーマ3:現代思想・仏教

やがて消えゆく我が身なら 池田晴彦(著)

2月25日初版。帯につられた。曰く、「ヒトの死亡率=100%―だれであろうが同じです」。さらに養老孟司の推薦文が添えられている。「本当のことをこれだけはっきり、短く書く人はいない。しかも笑える」

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by Yasuo_Ohno | 2005-03-08 21:04 | テーマ3:現代思想・仏教

反時代的密語 理想の旗を高く掲げよ 梅原猛

法華経。家が火に燃えているのにも気づかずに遊びに夢中になったいる子供たち。釈迦は子供を哀れに思い、それぞれの好きな物を与えてやるといって無事子供たちを家の外に出した。さらに、約束した以上のすばらしいものを子供たちに与えた。

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by Yasuo_Ohno | 2005-03-02 20:48 | テーマ3:現代思想・仏教

東京ファイティングキッズ その2

知識について関与せずに生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与した人間には価値があり、なみはずれて関与したものは、なみはずれて価値があるというようにひとびとが幻想することは、自然なことではあるが、これはあくまでも幻想の領域に属していることだ。

幻想の領域から現実の領域へはせくだってくると、この判断はなりたたない。

市井の片隅に生き死にした人間のほうが、判断の蓄積や体験の重さに関して単純でも劣っているわけでもない。千年に一度しかあらわれない巨匠と、市井の片隅で生き死にする無数の大衆のこの『等しさ』を歴史はひとつの時代性として描き出す(吉本隆明)

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by Yasuo_Ohno | 2005-02-12 13:13 | テーマ3:現代思想・仏教

脳と魂 養老孟司・玄侑宗久 その2

具体的に分析的な方向っていうのは科学では有効ですからね…つまり今の西洋科学ってのは否定できない。だけど、必ず一方でシステム全体を見張る人がいなきゃいけない…われわれだって、身体があって意識があるんだから。

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by Yasuo_Ohno | 2005-02-07 22:25 | テーマ3:現代思想・仏教

西田幾多郎の生命哲学 檜垣立哉(講談社現代新書)

ベルグソンから、その批判的な継承者としとのドゥルーズへと繋がる「生の哲学」の展開に、西田の思考の進展を重ねあわせていく…しかし断っておくが、それは東洋的思考とポストモダンとの近さなどという、これもステレオタイプなテーマを扱いたいからではない

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by Yasuo_Ohno | 2005-01-23 22:31 | テーマ3:現代思想・仏教