ローズマリーの赤ちゃん

オンナは生命より大切な胎児が秘密結社に狙われていると信じている。

しかし、それが事実だということを誰も信じてくれない。逆に、精神に異常を来たしていると決めつけられる。オンナは叫ぶ。「信じて…これは陰謀だわ!」。精神科医が呼ばれ、彼女に安定剤を打つ。ところが、もし彼女のいうことが事実であったとしたら…。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-10 12:51 | シネマンガ研究会

愛の旅人 米テキサス・パリ 独りまた去り行きて

この街の名前は今から20年前、学生のときに見た映画「パリ・テキサス」で知った。ドイツ人の異才ビム・ベンダース監督(59)による、ロードムービーの名作である…

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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-09 20:17 | 今日の新聞

社説 産経社説 こちらこそ驚いた

…だれでも自分の国を大切に思う気持ちに変わりはない。しかし、同時に他国の人たちに十分目配りをしなくてはならない。そうでなければ、正しい歴史を次の世代に伝えることにはならない…

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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-08 23:18 | テーマ2:リベラル

自民党憲法改正要綱

ko-bar-berさんに逆TBします。

自民党 憲法改正案要綱  
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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-07 22:17 | テーマ2:リベラル

キートンの大列車強盗

キートンの映画だからといって別に声を上げて笑うこともなかった。スリルを目指しているのはわかるが別に手に汗握るほどのこともなかった。何というかすべてが夢を見ているようにおぼろ気である。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-07 22:09 | シネマンガ研究会

アジアズームイン 観光にっぽん 「国」見せてファン増やせ

日本のファンになってくれる人の数こそが大切…国を見せることは、私たちの生き方を見せること。外交の一環と考えるべきです。日本総研の島川崇研究員の言葉。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-06 20:35 | 今日の新聞

自民党新憲法試案の要綱(要旨)

自由、民主主義、人権、平和の尊重が国の基本理念だというのは、通常、自由=人権なので、少し変ではあるが、なんとかわかる。しかし、「国を愛し、その独立を堅持する」のが、「国の原理」というのは理解できない。特に「愛」はいけない。気恥ずかしい。青春時代の純愛路線を連想したり、鍛えたマッチョの男色嗜好を連想したりする。発音も「ai」だから中国語の発音と全く同じだし。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-05 21:36 | 今日の新聞

ニッポン人脈記 社長たちのアメリカ① 異国で納得「幸之助語録」

松下電器社長の中村邦夫(65)の手元にぼろぼろになった本がある。

タイトルは「BEATING JAPAN」(邦題「日本の弱点」、NTT出版)。日本企業の技術重視、顧客ニーズの無視などの「欠陥」を描いている。皮肉なことに、創業者・松下幸之助の言葉「お客の近くに」が引用されていた。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-04 23:55 | 今日の新聞

僕の村は戦場だった

「私はこれまで娯楽映画を一本も作っていませんし、これからも作らないことを約束します」。こういってはばからなかったタルコフスキーの作品は退屈で眠いものだ。

ぼくは「ノスタルジア」を初めて見たときに度肝を抜かれたので、そういったイメージが強いのだが、のちに見た「惑星ソラリス」なんてそれほどでもなかったし、したがって、この作品が面白い作品だったからといって驚くにはあたらないはずである。

なのに、やはり驚いてしまったのはぼくとタルコフスキーとの出会いの性質を物語っていて面白い。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-03 22:25 | シネマンガ研究会

ダウンバイロー

ジム・ジャームッシュの映像はヴェンダースのそれに似ていて、どこか地味で暗い印象がつきまとう。画面の流れはゴダールのそれを彷彿させる。「ストレンジャー・ザン・パラダイス」で受けた感触同様、ロードムービーの特徴を備えていて、いかにも「これがロードムービーだ!」という感じの作品である。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-03 00:29 | シネマンガ研究会

カルメンという名の女

語ろうとして語り得ずにあらず。ただ語る気なきなり。真摯に語らんとすれど、気紛れという名の閃きが物語を破壊す。心地よいモンタージュ、意味をつむぎ出すこともなく、含蓄ある言葉は物語を撹乱するのみ。之をして音楽のごときと言へれども、何故に彼の作品が世に高く評さるるか全く謎なり。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-02 12:05

嗤う日本の「ナショナリズム」 北田暁大(著)

若者たちはなぜ右傾化するのか。皮肉屋の彼らはなぜ純愛にハマるのか。70年代初頭にまで遡り、アイロニカルな感性の変容の過程を追いながら、奇妙な「ナショナリズム」の正体をさぐる…「皮肉な共同体」とベタな愛国心が結託する機制を鋭く読み解く。気鋭の論客、渾身の書き下ろし!

北田は71年生まれ、

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# by Yasuo_Ohno | 2005-04-01 23:17 | テーマ1:保守・右翼

降雪量18㌢ 「春」足踏み 札幌、今夜も

札幌市内は30日夜から31日にかけて湿った雪が降り、31日午前9時までの12時間の積雪量が18㌢となった。同市内のこの冬の降雪量は604㌢となった。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-03-31 21:53 | 今日の新聞

生きていくのに大切な言葉 吉本隆明74語 勢古浩爾(著) その4

街路を歩いていて、若い女性のものと思える下着が干してあるのを見かけると、瞬間、本能的に視線が吸い込まれる…これは思春期からはじまり、いまでもほとんど変わらないから、どうも素因的といっていい(吉本隆明「背景の記憶」)

このすごいひとはこんなこともいっているらしい。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-03-30 23:44 | テーマ6:生活

生きていくのに大切な言葉 吉本隆明74語 勢古浩爾(著) その3

頭のいい人というのは、世の中にたくさんいます。そういう人と競り合わなければならなくなったとしても心配しなくていい。頭がいい人というのは、自分を鋭く狭めていくようなところがあります。長い目で見ると、それはそんなにいいことではない。熟練した職業人になるには、少しゆるんでいて、いい加減なところがあって、でも持続力だけはある、というのがいいのです。(吉本隆明「ひきこもれ」)

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# by Yasuo_Ohno | 2005-03-29 23:10 | テーマ6:生活

生きていくのに大切な言葉 吉本隆明74語 勢古浩爾(著) その2

吉本隆明と他の知識人とをわける決定的なポイントはなにか。「大衆」というテーマを吉本が決して失わなかったことである。国民でも市民でもない。声をあげることなく黙々と働いて黙々と死んでいく無名の大衆である。そこが吉本の還るべき場所だ。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-03-28 23:27 | テーマ6:生活

生きていくのに大切な言葉 吉本隆明74語 勢古浩爾(著)

知識というのはほんとうに役に立たないです。役に立たないというより、要らないです。その場で適応すればいい。適応できるだけの素地さえもっていれば、ほかには何も要らないと思います。それよりも、「生活の中」での「判断力」としての「叡智とか知恵は磨いたほうがいい」(吉本隆明「幸福論」)

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# by Yasuo_Ohno | 2005-03-27 20:44 | テーマ6:生活

法科大学院 受験偏重の過去に戻すな ローレンス・レペタ 大宮法科大学院教授(アメリカ法)

なぜ法曹だけ、世の中の流れに逆行するかのように、結果重視でなく、プロセス重視で行くのか。弁護士というのは、企業の法務部員の勲章ではなく、ずばり訴訟の専門家たる証明である。

ローレンス・レペタ教授にとって、Lawyer=弁護士だが、多分、司法書士、弁理士、税理士、社労士等々の資格は眼中にない。あるいは、あえて無視している。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-03-27 00:52 | 今日の新聞

リチャード3世

脚本がいい。シェークスピアというといかにも古めかしい。しかし、人間観察の目は鋭く、現代でも十分に通用する内容だ。つまり、ぼくらが彼ら登場人物たちの立場にあったら、同じことをしたかも知れない、と感じさせるだけのものがある。結局、人間は少しも変わっていないというつまらないオチをつけたいのではない。不合理に対する疑念や怒りといった人間の中の変わらない部分が時代の変化を生んできたことは重々承知している。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-03-25 23:37 | シネマンガ研究会

隣の女

ひとつの偶然と偶然がもたらすひとつの帰結。偶然は与えられたものとして存在し、いかなる解釈をも拒絶する。ぼくらに許されているのは偶然を繋ぎ合わせて必然の連関を見出すことだ。

しかし、そうした作業は偶然の持つ劇的なまでの残忍性をいくらか軽減することはあれ、結局なぐさめにすぎないことは明らかだ。なぜなら、偶然は物語の中に位置づけられないことがその本質であり、必然の連関を云々できないことこそ偶然の偶然たる所以だからだ。

はるか彼方からそれは突然やってくる。そしてぼくらはその帰結に対して「運命」という名前を冠し、畏れと祈りを捧げるのだ。

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# by Yasuo_Ohno | 2005-03-24 22:10 | シネマンガ研究会