少年

展開を予測させない。この先どうなるのか興味が尽きない。しかし、ちっともドラマティックでない結末であった。ぼくは、きっと少年もしくは義母が命を落とすに違いないと思っていた。大島が用意したエンディングは…であった。実際の事件に範をとった、この作品らしいエンディングであった。誠に現実とは、「信じられない!」というような感情を抱かせる。永久に続いて欲しいと願うぼくらの願いを裏切るような形で進行するのだ。



少年は貧しさゆえに生命を賭して「当たり屋」を続ける。大島の言葉を借りて言うなら、この少年もまた「自ら燃えなければどこにも光を求めることができない人間」である。この世には不合理が充満していて、多かれ少なかれこの少年のように不合理を受け入れて、自ら燃えなければならないものだ。それは学生運動で自ら「燃えて」来た大島だからこそ到達しえたひとつの境地である。

「映像によって表現されたものよりも、表現されなかったもののほうが、つねに思いのか。表現されなかったものとは、ひとびとが映像のなかに希求したものといっていいのか」。このような問題意識をもつ大島のこの作品で表現されなかったもの、ぼくらが希求したものとはなにか。月並みではあるがそれは「幸せ」であろう。

「私にとっては就職は深刻かつ重大な問題であった。私だけでなく、ほとんどすべての学生にとってそれは深刻かつ重大な問題であった。自分は職業革命家になるんだというひとにぎりの学生以外はみな真剣に就職のことを考えていた。軍需産業のような反民衆的な会社に就職してもいいのかという問い…」。大島の問題はかつてぼくの問題であったことを告白せねばならない。これは失楽園の意識である。

少年の抱える問題はこれと同根である。彼はチビを相手にひとりごとを言う。「宇宙人もいるんだ。アンドロメダ星雲から来た宇宙人だよ」。宇宙人とは不合理かつ秩序のないこの世に幸せをもたらす正義の使者であり、自らを宇宙人に擬して大義のために生命を捧げるものだとする。不合理な現実に彼なりの解釈と行動の根拠を与えんとする少年の姿はかつての大島のそれであった。

少年  ★★★1/2

製作:1969年日本
監督:大島渚
製作:中島正幸、山口卓治 
脚本:田村孟
撮影:吉岡康弘、仙元誠三 
美術:戸田重昌 
音楽:林光
出演:渡辺文雄、小山明子、阿部哲夫、木下剛志
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by Yasuo_Ohno | 2005-03-20 20:20 | シネマンガ研究会
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