映画評論家、淀川長治の晩年は後進を育てるという感じがあった。映画塾、である。
蓮実重彦の文体はいらいらするが、生前の淀川長治との対談では、赤子のような感じにもてあそばれていた。
四方田犬彦は、偏りはあるが、いい線はいっていた。しかし、いまでは普通のひとになった。精彩を欠く。
監督の映画評はどうか。古いところでは、エイゼンシュタインのモンタージュ理論。アンリ・ラングロアにはじまるヌーベルバーグも理論は立派だった。
産業としての映画、という切り口もある。こちらはハリウッドが中心だった。プロデューサー育成の必要性もこの延長にある。
最後に脚本。確かにいいシナリオはいい映画につながる。けれども、ビリーワイルダーの瞬間最大風速でさえ、忘れられがちだ。
なお、俳優の写真集は、この際、考慮に入れない。